五輪の今後とコロナ

東京オリンピックが開幕して、日本の金メダル数が過去最高を更新しています。柔道の快挙がこの原動力ですが、今まで日本の馴染みのなかった競技でも、活躍が目立っています。アスリートの皆様のご活躍に本当に素晴らしく、また、活躍できている日々鍛錬の努力に頭が下がる思いです。オリンピックの各競技のレベルを見ると、過去も当然そうだったと思いますが、現代の競技レベルは、既に通常の人類の枠を超えた、極みの競技と感じます。世界からのアスリートが集い、トップを争う姿に大変な感動をしています。ご活躍の裏にある日々の鍛錬は、病気や怪我を乗り越え、達成できているわけです。毎日朝、痛みで起き上がる日々の生活で、その競技を続けられるモチベーションの高さに、目標を達成するための持ちベンショーンの維持をどのように維持するのか?など。「その競技が本当に好きだから」という言葉の中にある、真の気持ちをぜひ聞いてみたいものです。

 今回のオリンピックを見ていて初めて感じたことですが、これだけの競技の高いレベルでの戦いは、もっと商業的また、プロ的な発想であって然るべき、と感じてきています。オリンピック精神に反することになるとか、一方では既にプロ野球選手、プロゴルファー、プロテニスなど既にプロ選手が多く参加されていますが、参加すること・参加できるレベルには、インセンティブをしっかりと提供するべきではないか、と思うに至ったわけです。これを前提に発想の全てを変え、その放映権の問題、宣伝料の問題、競技場所の問題など。もっと各選手の宣伝媒体としての効果を前提にした、ユニホームで構わないと思いますし、競技毎に開催国を変えても構わないわけです。コロナような疾病など今後も予測されるので、一国集中するリスクを低減する方法でもある訳です。競技を細分化ことで、各国で名乗りを上げやすくなるはずですし、より競技にあった場所の選定も可能になうと思います。

 オリンピックの競技のレベルは、小職のような人間には、甚だレベルが違い、同じ今日をさせていただいても、1点も取れなし、一個の技すらできない。同じ人間なのに、そのレベルは超人的と感じます。それだけアスリートの皆様は日々の努力をして体を鍛え、練習をしているわけです。プロのある競技はまだ良いのですが、無いような競技の場合、そのアスリートを支援する体制を確立する必要があります。人生をかけた戦いのオリンピックの場合には、尚更、長期にそして手厚くする必要を感じます。