独裁者と命の重さ

 独裁者と呼ばれた悪者は、歴史上、国ごと、に出現したわけですが、今回のロシア大統領もそのうちの一人になる訳です。それにしても、多くの犠牲になった人々の命と引き換えでは、どうにも割が合わない。同じ一人の命なのにである。資本主義経済上では、上に立つ経営者は、その社員及び家族に対しての生活を維持するという給与、手当、福利厚生などにて保証の責任を負う一方で、経営者には給与などでその地位・責任に対して報酬を分配する。決して命の重さではなく、社会的にな影響度合い、責任度合いに対してになります。ですので、政治家としての独裁者の場合は、命を引き換えにされては、筋合いが違うと思う訳です。経済的な利湯での命に関わる場合もありますが・・。

 すでに2ヶ月が経過し、米国がウクライナのキーフに訪問し支援を強化することが表明されています。ロシア軍の攻勢も次の段階に入ると予想され、止まるところが分かりません。この攻勢後のロシアの悲惨な状況は予想をされていますが、こうした独裁者の居る国家のy行く末は、結局のところ広大な土地と多くの人、人種を統治するのは難しいということでしょうか?反面、個々人に目を向ければ、人のもつ仲間意識が国を構成するとも言えます。そしてこの仲間意識をどのように醸成するかといえば、幼年時代から始まる教育・生活習慣など取り巻く環境ではないかと、思うのです。

 この戦争も早く終結して、コロナも収束して、大人数の同窓会など再開すれば良いですね。早く気持ちよく笑える日が来ることを!