年齢を重ねること

今日は、ちょっと年寄り臭い話題。

義理の母が、大腿骨を骨折して入院してしまったこともあり、高齢の親族のゆく気配を感じたせいでもあります。このところ、4年前から毎年義織の父、実母、実父と亡くしていたからです。共通して認知症が進み、骨が折れて入院して、どこか悪くなってというパターンなのです。

骨が折れるのは、やっぱり骨密度の低下を招くのは、いろいろな施設に行っても結局運動不足に陥り骨が脆くなるのだろうな?と思われます。骨密度よりもやっぱり悲劇的なのは、認知症といえます。子供のことさえわからなくなるという、この老人性認知症の進行は、人間の寿命を決める大きな要素なんだろうな、と思います。それにしても、この認知症はこれほど残酷な、非人間的で人格を喪失の酷い仕打ちは、どうして遺伝的に人間に伝えられていくようになったのでしょう。記憶に残らず、全記録が忘れられてしまう。脳の機能に寿命がきている方とはいえ、人体の健康よりも先に尽きてしまうようになった、ということなのか?医療の発展により健康維持は進んだが、脳の研究の方がまだ遅れている、ということなのか?

ということで、今自分でできることは、頭の体操になるよう、年齢のことは考えないで、楽し苦なることにチャンレンジしていくことですね。美味しいものを少しだけいただき、辛いことでも楽しい成果を考えて充実した生活を送っていきたい。

ただ、周りの目は違いますが、それは仕方のないことです。周りの評価も期待も違うので、自分の信念をしっかり持つ持つ必要もありますけど。