夜のバイトの話

新型コロナによる業務縮小を余儀なくされ、始めたバイトは塾の講師でした。主に英語・数学を教えてはいます。英語教育は、子どもたちと接する中で、よく文句を言いながら聞こえてくるのは、「なんで英語なんか勉強するの?」「必要あるの」「韓国語がいい」などど、言いたい放題である。教科書を見ていると、昔と比べ文法を教える説明は減ってきているものの、読む・聞くにシフトしていることは、なんとなくわかります。それにしても高校で習っていた、関係代名詞や仮定法など文法の説明をしっかりしてほしい内容にあまり説明がなく、教える側も困ってしまう場面も多いのも事実である。

こうした中で、AIが自動翻をほとんど同時通訳並のスピードで翻訳をできるようになると、コミュニケーションをするのに、英語力を必要にならなくなってしまう可能性があります。そうんると生徒たちの英語に対する気分も変わってしまい、もうやらないの機運が高まる可能性があります。もちろん、受験科目に残れば変わらないかもしれません。

その言葉を勉強するのは、その国や人を知ることであり、そこで暮らすにも大切なコミュニケーションツールであることは、変わらないはずです。しかし、勉強を続ける労力を考えるとまた違うアイデアもあるかもしれません。

昔、インドネシア駐在時の取引先のシンガポーリアンは、北京語、広東語、英語、及び日本語が話すことができて、その優秀さに驚きましたが、彼らにしてみれば、それこそが日々の糧になり、多くの場面で活躍できる素地を持っていたと言えます。これがAIに取って代わるか?といえば、ある旅行者からすればより便利になる可能性がありますが、やっぱり、そこには人としての能力を測るバロメータになるし、信頼性にもつながることは間違いありません。

小学生や中学生にもそうした、勉強の意図・趣旨なりを理解してもらえたら良いと思うのですが、それを理解できる親の側にも課題があり、社会のグローバル化が進むことを願うばかりです。